一冊堂 「書物に関する図書室」 便り No.1
『本は、これから/岩波新書・池澤 夏樹著』
書物(紙の本)だけにある特性を語っている部分を、一冊堂の視点で抜き出してみました。内容的に、「書物」を「電子書籍」と置き換えても本質的に変わらないものは、書物(紙の本)の特性とはいえないと思うので取り上げていません。
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● 本の棲み分け/池内 了
人間はアナログで物事を認識している。ある重要な事柄が何ページの何行目に書いてあったと覚えているのではなく、本の三分の二辺りのページの上からくらいのところにあったと記憶してページを繰り直すのが常であり、それを探し当てるのが楽しみなのである。ときには、線を引いたり片隅を折り畳んでして目印にし、その部分だけを繰っては何度も読み返したりもする。そうすると妙に愛着が生まれて言葉が頭にしみこむというものである。
〜 記録媒体としての電子書籍、自分の頭を鍛えるための紙の本
● 歩き続けるための読書/石川 直樹
「世界は人間なしに始まったし、人間なしで終わるだろう」
〜 彼らの生の断片をカビバラ山地に残して、この世を去ってしまった。壁画に取って代わった活字は、同じように世界が終わるまで、存在し続けることができるだろうか。少なくとも人がいなくなった無人の荒野で、人類の歴史を語るのは電子書籍ではなく、物質に刻まれた痕跡としての活字であるとぼくは思う。
● 書物という伝統工芸品/上野 千鶴子
書き手としてのわたしは、本という媒体がなくなっても痛くも痒くもない。書き手はコンテンツ生産者だ。コンテンツ生産業媒体がどうなっても残る。
〜 出版社はなくなってもは、編集者という仕事は残るだろう。
〜 という究極のローテクのローテク・アナログ情報のほうが、長期間の延命に耐えることが証明されている。木簡や竹簡で書かれた文字は、千年経っても読むことができる。
書物はなくならない、今度は「伝統工芸品」として。
電子書籍の難点は「どこを読んでいるかわからないことである。
〜 いったい自分が物語のどの部分を、どの方向に向かって読み進んでいるのかがわからない。 自分が全体のどの部分を読んでいるかを鳥瞰的に絶えず点検することは読書する場合の必須の作業である。
● 実用書と、僕の考える書籍と/五味 太郎
親しい写真家が言ってました。プロが使う数百万円のカメラでさえ、デジタルカメラはすべて使い捨てなんだそうです。中古品やまして骨董品では決してならないんだと。フィルムを使ったかつての写真機はとりえず中古品の市場があるらしい。
● 本と体/幅 允孝
紙での読書は目と脳みそ以外にも、無意識のうちに様々な五感を総動員して読んでいます。だから指先の皮膚感覚と記憶の交差から、探していた過去の箇所へとページを捲り戻ることも自然にできます。
紙の本は、人間の体と親和性の高い存在。だとしたら、人間の体が気持ちの好い場所で、紙の本はもっと読まれる可能性があるのだと思います。〜
もともと遅効性に際立つ紙の本のコンテンツは、他の情報と関係を結ぶことを得意としています。それは検索型の世の中において、ワカサギ釣り的に情報を引き上げるのではなく、その氷の下に繋がる海をイメージすることと同義です。
● 紙の本に囲まれて/福原 義春
紙の本というものは、あくまでも実態である。積んでおいて開いてめくってみて考えながら読むことが出来る。道具というよりも材料のようなものである。
蛇足的追記 一冊堂は「書物に関する図書館」開設を目指しています。収集された書物の中から適宜、本の紹介をしていくつもりです。現在の蔵書数:140冊/目標1000冊+α