「電子書籍は文明、書物は文化」か?

 電子書籍(あるいは出版)の出現は、改めて本の存在についての論議を高めさせているようです。そこには、「本は文化である」という視点で、文化と文明の違いを述べる意見が多くあります。そのひとつとして「iPadで象徴されるデジタルメディアは『文明』であり、本や雑誌・新聞などの活字メディアは『文化』といえるのではないか/『本の底力――ネット・ウェブ時代に本を読む』(高橋文夫著、新曜社)」について考えてみましょう。

 出版は、長い歴史の中で確立された世界で、退潮しているとはいっても、いまだに1~2兆円のつく産業です。そこで生まれる出版物は、「作り手 → 読み手」という一方通行の体制の中で生まれているのです。そこで生まれた出版物には、著者が語る「文化」が当てはまるのでしょうか? 

 本や雑誌は、完成までの工程、その発行部数を考えれば文化ではなく文明の産物といえるでしょう。そこに文化があるとすれば、本や雑誌を通し、個々の感性がそれぞれに反応した結果ではないでしょうか。つまり、iPadで象徴されるデジタルメディアであっても、iPadを通して個々の感性が得る世界には文化があるといえます。

 グーテンベルグがもたらした印刷技術は、文明としての書物を創出しました。それは「音声」から「黙読」への変革であり、そのことがもたらした結果は、電子書籍が将来にもたらすであろ変革と本質的な違いはないでしょう。しかし、生み出された書物は、新しい文化の芽を作り出しています。電子書籍も新たな文化を萌芽させるでしょう。

 書物は、文字部分だけでなく、編集、装丁等の創作の集合体です。ということは、発信源である文字(文章)に対しては、iPadkindleなどの方がでピュアともいえるでしょう。

 書物の魅力を感じとれる層は、数兆円産業の受け手の中では少数派であり、大多数は、書物そのものに思い入れはないと思います。

 「書物」VS「電子書籍」は、社会的なニーズの視点では、その優劣がはっきりしています。

蛇足的追記 小さな出版社+印刷屋さんの一冊堂は、書物(紙の本)にこだわり、その特性を追求していきます。また、いつかはブックカフェ&古書店を開店することで、地域における「知の発信源」+「知的コミュニティ」=「知のセレクトショップ」をめざしていきます。